
ハーゲンダッツのアイスって食べたことありますか?
おいしいですよね。
そのハーゲンダッツが主原料に指定する牛乳はJA浜中町の牛乳なのですが、
なぜ浜中町の牛乳が選ばれたのでしょうか?
それは、JA浜中町組合長、石橋榮紀さんのある取り組みが
ハーゲンダッツに認められたからなのです。
ある取り組みとは何なのか、
そして石橋榮紀さんとはどのような人物なのか?
石橋榮紀 Wiki
1940年、北海道根室市生まれ。
1972年に浜中町農協理事に就任、
1990年には組合長に就任します。
酪農については、数々の新事業を立ち上げ、
JA浜中のみならず、北海道ひいては日本の酪農全体を
牽引しているといっても過言ではない存在の方です。
ハーゲンダッツが認めた理由とは?
ハーゲンダッツジャパンは1984年に設立され、
現在ではコンビニなどでカップアイスをよく見かけますが、
その主原料となるミルクはJA浜中町の製品が使用されています。
ハーゲンダッツは国内での商品販売を始めるにあたり、
アメリカから技術者が来日、各地を回り原料となる牛乳を探します。
その中から選ばれたのが、JA浜中町の牛乳だったのです。
JA浜中町の牛乳が選ばれた理由、
それはアメリカ並みに牧場の段階から管理された牛乳が
浜中町以外にはなかったからなのです。
JA浜中町ではハーゲンダッツジャパン設立に先立つこと3年前の1981年に
「酪農技術センター」なる先進的な施設を設立していたのです。
アメリカで酪農研修を積んだ町の若者の報告により、
アメリカではより良い乳牛を育てるために
高精度の分析システムを備えていることを知った石橋榮紀さんは
是非取り入れたいと考え、酪農技術センターの設立を決意します。
しかし、前例のない事業のため、
設立資金の捻出のため道庁に掛け合うもなかなか理解が得られず
実現までには、なんと2年間という月日がかかったそうです。
しかし、このときの石橋榮紀さんの決断があったからこそ
浜中町の牛乳がハーゲンダッツに認められ今日に至るのです。
まとめ
酪農技術センターの設立については当時は
「農協がそんなものを作ってどうする?」と反対の声ばかりだったそうです。
それでも石橋榮紀さんは
「これからの酪農には絶対に必要だ!」との強い信念のもと、
2年間、道庁に通い詰め、補助金を獲得し、設立へとこぎ着けました。
その結果として、JA浜中町は先進的な農協である、
という評価を後に得ることになるのです。
強い信念により、前例のない事業を成功させる、
そのチャレンジ精神については、
ぜひとも見習いたいものだと感じました。
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